なぜ「奇跡の鉱物」と呼ばれ、使われ続けたのか
アスベストは、なぜここまで社会に広く浸透してしまったのか。その答えを知ることは、規制の遅れが繰り返される構造を理解する手がかりになる。
古代から知られていた「燃えない布」
アスベストの利用は古代文明にまでさかのぼる。古代ギリシャでは、アスベストの繊維を布のように織り、「火にくべても燃えない布」として珍重されていた。耐熱性と丈夫さから、神殿の灯火や火葬儀式など、特別な用途で使われていた記録も残っている。しかし、この時点ではまだ、ごく限られた特別な素材に過ぎなかった。
産業革命が「奇跡の鉱物」に変えた
アスベストが一気に社会へ浸透したのは、19世紀後半の産業革命以降だ。工場や鉄道、蒸気機関など、高温を扱う機械が急増する中で、「熱に強い」「電気を通さない」「安くて加工しやすい」というアスベストの特性が、産業界にとって理想的な素材として重宝された。第二次世界大戦後には、各国の戦後復興の波に乗って建築資材としての需要が急拡大し、1960年代にはヨーロッパやアメリカでアスベストの生産量がピークを迎えた。日本でも、ビルや学校、住宅の断熱材・防音材として、当たり前のように使われるようになっていった。
「便利さ」が「危険性」の発見を遅らせた
皮肉なことに、アスベストの危険性は早い段階から一部で疑われていた。しかし、その繊維の細かさゆえに肺の奥深くまで入り込み、発症までに10〜40年という長い潜伏期間があったことが、問題の表面化を大きく遅らせた。安価で便利な素材が経済活動に深く組み込まれてしまった後では、たとえ健康被害の兆候が見え始めても、産業界の抵抗によって規制がなかなか進まない——この構造は、後の米国の規制史(EPA禁止令が1991年に裁判所で覆された経緯)にも色濃く表れている。
「便利で安価な素材ほど、社会に深く根を張ってから危険性が発覚し、規制が難航する」——アスベストの歴史が教えるこの教訓は、今後登場する新素材や化学物質のリスク評価においても、繰り返し思い出す価値がある。
