クボタショックから20年、何が変わったか
2005年6月29日、毎日新聞の報道をきっかけに、兵庫県尼崎市にあったクボタ旧神崎工場の周辺住民にアスベスト(石綿)疾患が広がっていることが明らかになった。工場で働いたことのない人々が次々と中皮腫を発症していたこの事実は社会に衝撃を与え、「クボタショック」と呼ばれるようになった。2025年6月末で、あれから20年が経過した。
何が起きていたのか
クボタ旧神崎工場では、1954年から1975年にかけての22年間、水道管の製造に毒性の強い青石綿(クロシドライト)が使われていた。この期間に工場周辺に居住していた住民のうち、中皮腫などを発症してクボタに救済金を請求した人は434人にのぼり、うち410人がすでに亡くなっている。工場で直接働いていたわけではない「近隣住民」が、これほどの規模で被害を受けた例は、日本のアスベスト問題の中でも際立っている。
この20年で変わったこと
クボタショックは、日本のアスベスト規制を大きく前進させる転機になった。同じ年のうちに、労災補償を受けられない被害者を救済するための「石綿健康被害救済法」が成立し、翌2006年には石綿の使用がほぼ全面的に禁止された。その後も、大気汚染防止法の段階的な改正、事前調査の義務化、有資格者制度の創設など、この20年間で規制は着実に強化されてきた。国の責任についても、最高裁判所が建設アスベスト訴訟で国と建材メーカーの賠償責任を認め、泉南地域のアスベスト訴訟でも国の責任が確定するなど、司法の場での前進もあった。
変わっていないこと
一方で、変わっていないこともある。クボタによる周辺住民への「救済金」は、あくまで同社が自主的に設けた「道義的責任」に基づく制度であり、法的な賠償責任を認めたものではない。申請しても認められない被害者がいることも指摘されている。また、尼崎市における中皮腫死亡率は、今も全国平均を大きく上回る水準で推移している。潜伏期間が20〜50年と長いアスベスト疾患の性質上、20年が経過した今も新たな発症が続いており、「過去の公害」として終わった話にはなっていない。
20年という時間が意味すること
クボタショックが起きた1954〜1975年の青石綿使用から数えれば、被害者の多くは50年以上、あるいはそれ以上の潜伏期間を経て発症したことになる。この長い時間差こそが、アスベスト問題の本質的な怖さだ。規制が強化された「今」の対策が本当に機能しているかどうかは、皮肉にも20年、30年先になってようやく検証されることになる。クボタショックから20年という節目は、過去を振り返るためだけでなく、「今の対策は将来の被害を防げているか」を問い直す機会でもある。
